和三盆って言葉の響き好き

ここは東京砂漠

おしっコンプレックス

私人生において習い事をしたことがないです。これは小さい頃からなんとなく感じてた若干のコンプレックスだったのですが、たとえば習字とかピアノとか、かっこいいので言えば英会話とか楽器系。英会話なんてつくづく憧れましたねえ。親に習い事をしたいとも言ったことはなく、親も親で私のネカマ気質を悟り、きっと社不と睨んでは俗世に放り出さなかったのか、まあ実際は高い月謝を払ってまで習い事に通わせたところで、我が子に何か能が生まれるという期待もなかったんだと思います。

 

まさにその通りで、習い事をやっていない、かつ部活動もまともにやっていないので正直人生で「継続」できていることなんて、毎日のおしっこくらいです。うんちは出ない時もありますので。毎日何キロジョギングしてます、とか日記書いてます、とか継続できる人間って本当に素晴らしいなと感じる反面、私はそれをせずともせかせかしてしまっているので、そういった継続マンウーマンたちは暇なんかなあとも思います。私はろくな趣味もないので、休みの日なんかはまさにジョギングなんてできそうですけど、習い事でスポーツをやっていたことも運動部だったこともないので、自ら走りに行くなんて絶対にしないんだと思います。でもね、反例としてはなんですが私の家の隣が大きな公園なんですよ。陸上やサッカーができそうなスタジアムも兼ね備えてる緑豊かな公園が真横にあるんです。そこを秋晴れに散歩するのはすごく好きなんですね。だが、走るとなった途端、その行為が強いられるものへと顔色を変えてしまうので、私は毎日おしっこしながら秋晴れに散歩する、晴れ晴れおしっこ散歩ネキくらいがちょうどいいんです。歩いてる途中におしっこ行きたくなった瞬間とか、まさに日常に継続的な習慣を思い出したような、歯磨きしながら片足立ちして体幹鍛えちゃうような、なんかデキ女みたいでステキですね。告白満員御礼。

 

おしっこはいいんだ、習い事の話だ。習い事も然り、共感は求めないけどなんとなく自分の人生に付き纏ってる小さなコンプレックスってありませんか?今こうやって社会人として現代を生きていく中でこれやっといたら少しは役立ったかもなあ、みたいな小さな希望のことです。私は、運動を幼少期からしっかりやっていれば良かったなと思っています。デブとかそういう問題ではなく精神論で。運動をしっかりやってきた人は縦社会の理解もありますから人間関係の摂理に気付くのが早いですし、ある程度の忍耐力や向上心が芽生えやすいような印象です。男女に限らず、まさに男なんて野球をやっていた、という経験録を兼ね備えているだけで世渡り上手感ありますしね。まあそこまで困ってないんですけど、やっといたら良かったなあ、くらいの。あとはまあ割と字も綺麗なほうだし、あ、でも箸の持ち方とペンの持ち方はめちゃくちゃだ。常田大希の言葉を借りるなら、文明で育っていない、というそういうレベル。迎え舌もしないし食べ方は割と綺麗なほうなんだけど、そんなことではフォローしきれないくらいの箸の持ち方の汚さ。これもしっかりしといたら良かった。今更直せないので、初デートはイタリアンで決まりですね。あ、でも社会人としてのマナーはないのでフレンチはダメです。

 

あんまり思い出せない中で箇条書きしていくと、犬を飼ったことがない、一軒家に住んだことがない、親戚や祖父祖母との関係が薄い(葬式や結婚式で会った時に気まずい)、家族旅行は栃木以外行ったことがない、小中学校時代の友達がやたら少ない、とかですかね、なんか別にこれらも悩みとかではなく、これしとけば良かったなとかなんだけどね。吐露です吐露、愚痴未満です。

 

お風呂入って寝よう。