和三盆って言葉の響き好き

ここは東京砂漠

ブックオフなのに本ねえじゃん

将来は文庫本に囲まれた部屋でロッキングチェアに座りながら本を読み、膝の上にニャンコが乗ってきてそんなもふもふをおかずに、コーヒーを嗜むような暮らしをしたいです。

 

人間として生を受けた前提で、遺伝子には「言葉が好き」がプログラミングされてるものだと思ってたけど、自分の父親は文章嫌いだしあまり語彙力もないので、そうではないみたいです。

言葉というか、文字から想像するのが好きで、小説もまあまあ読むし。

 

魚魚魚魚を食べると頭頭頭頭が良くなる、の如く、本本本本を読むと頭頭頭頭が良くなるらしいですね。でも私は本当にバカ女なのでこれは嘘です、私がその証明です。

別に文章を読んで育まれるのは語彙力や知識も多少はあるけど、私にはあんまりそれらは学習されにくくて、想像力だけはしっかり培われてます。文庫本でも辞書でも歌詞でも、文字を読み解いて、自分の人生で目にした限りの記憶を頼りに妄想したり、或いはそれ以上の期待で景色を生み出す感覚で、きっと想像力が培われてるんだべなぁ。

 

まあ入院期間、安静期間も含めて14日間ほどお休みをいただき、仕事ならではのタスクに追われるような忙しなさは全くなく、大分時間がゆっくりと流れる生活を送りました。

心の安静も身の安静も、無理をしないことが1番の療養になるんだなぁ、と熟感じます。

 

その中で貯めていた小説や買った小説を読み漁りまして、東野圭吾の素晴らしさにもう感銘という感銘受けまくり。

ガリレオシリーズの容疑者Xの献身、見たことある?あれすごくない…?だいぶ昔に映画見た記憶はあるんだけど、あんまり内容は覚えてなくて、小説で読んでもう号泣。本を閉じたと同時に咽び泣く始末。石神という人間の弱さに同情して涙止まりませんよ。そこから東野圭吾にハマり狂っております。んー、面白いんだ。言葉にするのは難しいし、こんなね語彙力も知識も足らない人間がまず東野圭吾を称賛するなんてもう烏滸がましいったらありゃしない、くらいの感覚。

 

加賀刑事やガリレオの実写化は、大切な誰かを守るために自己犠牲で罪を庇う内容が多いんですよ。湊かなえに話は飛ぶけど、中学生の時に「Nのために」の実写化で、究極の愛は罪の共有っていってたのがすごい心に残ってて、てかまあシンプルに理解できなかったからそれを考えてたんだけど。それを不意に思い出しては、なんだろうと考えた時に東野圭吾作品に出会って、その疑問の答えに辿り着いたような、腑に落ちた感覚になりましたよ。

確かに、私、大切な人が罪を犯してしまったら、その人がどうにか捕まらないように庇うもん。

 

まあとにかく、容疑者Xの献身はみんな見よね〜🌻🌻